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Brown Water Navy Archive

泰平の眠りを覚ました男たち

渋谷で髪を切り、表参道をしばらく歩いて地下鉄千代田線に乗る。同潤会アパートの一部が保存されていた。D-51の先頭部分をカットして保存しているような按配。

大江戸線に乗継いで両国の江戸東京博物館へ。ペリー&ハリスの特別展を観るのだ。特に、勝手な想像で好き放題描かれた、瓦版でのペルリ提督像を見るのだ。
と、その前に上野アメ横の薮で蕎麦をたぐる。
・・・値上がりしてますよ。モリが750エン(記憶によれば)とは何事であるか。
新メニューらしき辛味大根蕎麦を注文。薬味としておろし大根がついている程度と思っていたら、案に相違して大層な量のおろし大根が小丼に入ってきた。しかもソバツユは通常のモリと同量で、オールドスタイルの辛口少量であるからカキ氷よろしく大根おろしに吸い込まれてしまって全然足りない。
値上がりと相まって、どうも嫌な感じに色気を出しやがったなと思いつつ退店。俺もここでは変な色気を出さずに、モリだけ注文することにしよう。

さて江戸東京博物館に行ってみると、「アメリカ海軍兵学校博物館」、つまりアナポリスが所蔵元の展示品がやたら多い。ペリーはU.S.NAVYのアドミラルだから当然のことであるが、 改めて肖像画を見ると制服がネイビーブルーなんですな。海軍万歳。
ボート砲の再現品と操作マニュアルの展示が目を引く。いわば小発の艦首に据えられた単砲身砲で、必要な時は小発後部に搭載している二輪+尾輪の砲架に乗せて陸戦でも使えるというマルチパーパス砲である。いかにも海兵隊・陸戦隊の匂いがする逸品で、嬉々として鑑賞。

遣米使節の一員として渡米し、帰国後は渡米談の講釈をして廻ったという加藤素毛のコーナーに興味を持った。講談社学術文庫あたりで 加藤素毛の著述を手ごろな本にしてくれんものかのう。

横浜中華街と氷川丸

雨天の中、横浜へ。前職の時にお世話になった人と会う。定年退職した女性だが、随分と若々しい。中華街の順海閣本館で昼食、のつもりが長々と15時ごろまで話し込む。

その後 、氷川丸へ。この4月に日本郵船の管理下に入ってリニューアルされたそうで、船舶文化財として内装が往時の状態に復元されている。外装も錆び落としの上再塗装されており、関心のある人は色あせぬうちに訪れた方がよいだろう。

各船室やラウンジ・サロンは明治村を思わせる再現度で、ここは是非とも軍服人間サイトーさんによる狼藉撮影会を期待したいところである(笑)。基本的には1930年代の再現を目指したようで、戦後の船内状況とはまた違う のではないかと思う。病院船時代や引揚船時代もあわせて、各時代を再現した区画があっても良いのではないだろうか。
一等船室と三等船室との間の格差に愕然としたり、機関室のディーゼルエンジンと補機類の巨大さに驚愕したりして大いに堪能。ディーゼルタービンエンジンではない、船舶用の大型ディーゼルピストンエンジンを間近に見たのはこれが始めてだったかな。全長何メートルもあるこの巨大なピストンシャフトがアリューシャン列島の暴風圏の猛烈なローリングの下で規則的なビートを刻み続けていたのだと想像し、そして機関部員の艱難辛苦を想い、正直感動を感じ得なかった。
そう、それはJobではなくDutyだったのだろう。俺にはDutyの意識が足りなすぎる。反省。

帰路は水上バスで横浜駅に戻る。普段ならこういう場合は後部の露天甲板で潮気を浴びるのだが、雨が降っているのでおとなしく船内に着座する。平底船の喫水線に近い位置で、こりゃLST改造河川砲艦のクルーに近い目線だなと気づく。経験値が上がった。何の経験値だ。

本日の「つよきす2学期」ワンポイント:乙女おねいさんルート終了。・・・・・・まだだ、まだ素奈緒と瀬麗武が残っている・・・。彼女らのシナリオに希望を・・・・・・。

「ランボー・怒りの脱出」

木曜洋画劇場でオンエアされていたので観た。前半にPBRらしき「哨戒艇」が登場。 犬棒じゃないが、観てみるといろいろ発見もあるもんだ。

この哨戒艇はベトナム軍の所属、つまりこの映画での悪漢役どもの乗り物なのでメインマストにベトナム国旗が翻っている。船体は濃い目のグレー。OD色が褪色した風にも見える。

正面からこちらに接近してくるカットではPBRそのものだが、側面からのアングルではちょっと妙なシルエットのも混じっていた。例によって爆発炎上する末路なので、生きているPBRとは別に用意された消耗品のデコイPBRを撮ったカットが混じっているのだろうか。ウォータージェット風の軽快な滑走ではなく鈍重な動きだったことも相まってASPBかとも思ったが、前部ターレットがオープントップの連装機銃なのでPBRの心なのであろう。この機銃はM1919(Cal.30)風、操作しているのが青のボーダシャツを着たベトナム海軍水兵なのがまた妖しげな雰囲気を生んでいた。

サマードレスとベレー

最近のミリタリーな買い物2題。ホントe-bayは地獄だぜ、フゥァーハハハ!

どちらもNAM戦海軍関連というのはお約束として、まずはコレ。

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1970年代前半に廃止された「サービスドレス、カーキ」の上衣。制服関係では長い事探していたんですが、サイズが合わなかったりコンディションが良くなかったりでなかなか良いのが無かったんですな。士官の服だからもういっそテーラーで仕立ててやろうと考えて、コザのテーラーに生地が残ってないか調査してもらったりしたもんです。生地どころかベース前のテーラー自体がすでに絶滅寸前という結果だったのですが。

そのブツがe-bayに、しかもジャストサイズの38R!競合なしで破格値で落札!しかし送料バカ高!ホント国際取り引きは地獄だぜ、フゥァーハハハ!
届いたブツは大変きれいなコンディションで、袖をちょっと直せば誂えたようにピッタリ。また一歩野望に近づいた。

2点め。

IMGP1700.JPG

ディーラーの説明によると、「米海軍軍事顧問の南ベトナム製ベレー」。
うむ、この濃紺は南ベトナム海軍固有の色だし、生地と形も南ベトナム製品独特のものだ。
しかし、裏地のパッチの「MARKET TIME」「PBR」にはちょっと矛盾がある。
Oplation MARKET TIMEはTF-115の沿岸海域作戦であるから、主に河川で運用されたPBRがここに出てくるのはレアケースなのではなかろうか。
しかも表側のパッチが南ベトナム海兵隊。うーむ。
まあ、価格が価格だけに最近作られたフェイクだろうというのはディーラーとの暗黙の了解ごととして、
(1)制作者がよく知らずに作成した。
(2)実際こういうモデルが存在した。
のどちらであるか。
(1)なら海兵のパッチを引っ剥がして海軍として考証的に正しいものにつけ替えるし、(2)なら『やったぜ俺様レア物ゲット!すげー目利き!』と海兵所属軍事顧問で一式揃えることになる。

資料を見ると海兵所属の米軍事顧問はグリンのベレーを着用しているがなぁ・・・と、今資料を見返して気づいた。この海兵パッチ、ベレーじゃなくて上腕に着けるのが正しいんじゃねーの?!
じゃ(1)が正解か?

IMGP1701.JPG

なごみさんに鑑定をお願いしたら、困ったような顔をされました。

V-Show

恒例のV-Show。
おっと実弾を用意しとかんとな、とメインバンクのキャッシュカードを・・・あれ。無い。

時ならぬ家捜し。とは言っても出がけであまり時間をかけられない。ネットバンキングサービスにログインし、覚えのない引き出し履歴が記録されていない事を確認。
この部屋の中にある事だけは確かなので他人に悪用はされまいが、出て来ないと困る。とりあえずサブバンクのカードで軍資金を調達して浜松町へ。

イベント自体は相変わらずで、会う人も変わりがなさそうだ。久しぶりにNao氏に遭い、変わらぬイケメンぶりに嫉妬。一方、療養中の某店店主氏は今回も参加を見合わせたとのこと。無理しないでご自愛ください。
トヨムラ大人にタンカースジャケットを譲ってもらう。が、値段交渉が行き過ぎてやな奴っぷりをさらけ出し、自己嫌悪。値切る相手を間違ってるよ俺 orz

同会場の5FでNゲージ鉄道模型のイベントをやっていたのでついでに見に行ってみる。この方面の模型にまで再び手を出すと大変な事になるので「見るだけ、見るだけ、見るだけ・・・」と念じつつ一周。幸いな事に国鉄色キハ22とか北海道デフ96/D51とか2ッ目C11とかとは遭遇せず、コレクションクライシスの危機は去った。

今回は、「U.S.NAVY」のネームテープ2種と「33 Beer」(ベトナム産ビールの銘柄。ベトナム戦争中、フリーランスカメラマンの間では33 Beerのパッチを縫い付ける事が流行していた。現在は「333」という銘柄になっている)、新製品のマルイGIコルトを購入して早めに帰宅。部屋の整理ついでにキャッシュカードをサーチ&レスキューせねばならん。
33 Beerのパッチはベトナム製ローカルメイドのリプロ品。実際に見たリプロパッチとしては4種類目。GIコルトは発売後一週間も経っていないのにお値段はポッキリ。買い物としては非常に良い一日ではあったが、しかし、キャッシュカードの行方が気になる。出て来なかった場合の諸手続も思うと気が重い。早々と退出しないでもっと遊んでいたかったんだがなぁ。

結末。
日没前にカードを探し出し、本来あるべきところに収め、部屋もある程度片づいた。やれやれ。

フルメタル・ジャケット

さる人の手引きにより、我が家に東京マルイ製電動ガン、M14が来たるる。

でかい。ながい。重い。サイコー。マゾか俺は。

スチールパーツ多用で鋼性感も高い。電動ガンを買うのはAK47以来だけど、何年かの間にかなり進化していたのね。
スマートなお姉さんタイプで、長いブラウンのストック・・・よし、命名。「セリオさん」。

ベトベト戦

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Hana-Gちん、トヨムラ夫妻とベトナム戦サバゲーイベント「ベトベトしま戦か?」に参加。
0400時に起床して合流。死ぬる。
前日までの天気予報では降水確率が高かったので気を揉んでいたが、当日の降雨はほんのちょっとで済んだ。
今回はチーム獺にあわせて第一歩兵師団のファティーグを新調。Official U.S.ARMY Photographerの上等兵設定。
後で気づいたが、縛りのゆるいイベントなのでBWNのユーティリティ&黒ベレー姿でもOKなんだった。とは言っても、まともな長物を持っていないし周りの雰囲気を壊すつもりもないので、BWN設定でのゲーム参加は難しいか。

アオザイ姿の娘に騙されて、隠し持っていたハンドグレネードで爆死しました(爆)
その他、ベトコンに撃たれてメディックを求めつつ戦死する事数回、撃ち倒されたFNGを「頑張れ、こんなところで死ぬな、国へ帰るんだ」と後送すること1回、トヨムラ奥様に失言して蹴り殺される事2回。
いやあ、エナクトイベントって本当にいいものですね。

仕事模様その後

結局、他の端末では再現しないので、ゲイツの呪いということにして一件落着。

  ◇

最近知った驚愕の事実。
田宮模型がイタレリ社の1/35キット、LCVPLCM3DUKWLVT-4を直販サイトで販売していた。
しかもLVT-4は戦後フランス軍用のデカールつきとな?まさかインドシナの第1外人騎兵連隊バージョンかッ!
アレか、もしかしてLCM3をベースにした河川海軍艦艇化改造キットとかも出ていたりするのか?!

  ◇

腕時計バンドが到着。 GraficのBrown。
チュードル・プリンスオイスターデイトのラグ幅は19ミリ。既製品のバンドは18ミリと20ミリが標準サイズらしく、19ミリのものは種類が限られているらしい。
初回特典でバネ棒外しがついてきており、それを使うと簡単にバンドを交換できた。
元々の黒色リザードから茶色のカーフに換わり、大分カジュアルな印象になる。元祖ロレックス・エクスプローラーの「冒険者向け」のイメージ、より正確には1960年代のヒマラヤやコンゴやベトナムに赴いた人も使った道具、というイメージに近づけただろうか。

従軍聖職者のメダル・オブ・オナー

引き続き、ベトナム戦争時の米海軍メダル・オブ・オナー受勲者の紹介。
今回は、海兵隊に派遣された従軍聖職者の話。

  ◇

ビンセント・R・カポダーノ大尉 従軍聖職者、合衆国海軍から派遣。

1967年11月4日、南ベトナムのクァンチ省での戦闘において、海兵隊第1海兵師団第5連隊第3大隊の一員として騎士精神と勇気をもって自らの生命をなげうち、顕著な功績を印した。

M中隊第2小隊から『敵攻撃部隊が接近中』との報を受け、カポダーノ大尉は比較的安全な中隊司令部を後に、啓開地の斜面の火線下を抜けて悩める小隊の元に駆けつけた。
彼は敵の小火器や機銃、迫撃砲の猛射をものともせず、負傷者の看護と最期の祝福、死者への祈りのため戦場を動き回った。

迫撃砲弾の炸裂が彼の腕と足に幾多の傷をつけ、そして右手を吹き飛ばした時、彼は一切の手当てをきっぱり断った。自分ではなく、他の負傷した戦友を助けるよう衛生兵に指示したのである。穏やかな活力を発揮しつつ彼はなおも戦場を動き回り、その言葉と行動とで海兵たちを励ましつづけた。

突然、衛生兵が敵の機銃に捕捉され、15ヤードほど離れた先で倒れた。彼は重傷を負った衛生兵を救うべく、大胆なラッシュを仕掛けた。
そして、あと数インチでゴールというその瞬間、彼は敵機銃の射撃によって撃ち倒されたのである。

戦場で見せた英雄的行動と奮起の手本により、カポダーノ大尉は合衆国海軍の偉大な伝統とは何たるかを示した。彼は勇敢にも自由主義のために命を捧げたのである。

  ◇

(訳注)
従軍聖職者がメダル・オブ・オナーを受勲した、かなり珍しいエピソード。
最初はChaplain Corpsを「従軍牧師」としたが、宗派や位階を特定する用語のため「従軍聖職者」に直した。
struck downは「撃ち倒された」と訳したが、「ラッシュ」「ゴール」と同じくラグビーかアメフトの用語のような気もする。

SEABEESのメダル・オブ・オナー

興が乗ったのでもう一人、ベトナム戦争時のメダル・オブ・オナー受勲者を紹介。
今回はSEABEESのマービン・G・シールズの話。
当時の職能級はConstruction Mechanic Third Class。建設機械運用員、つまりブルドーザやユンボのオペレータだったのであろう。

  ◇

マービン・G・シールズ、3等建設機械運用員。

1965年6月10日、南ベトナムのドン・ハにおいて、合衆国海軍Seabee Team1104の一員として、騎士精神と勇気をもって自らの生命をなげうち、顕著な功績を印した。

米陸軍第1特殊作戦部隊(1st Special Forces)の第5特殊作戦群(5th Special Forces Group)によるA-342分遣隊(Detachment A-342)駐屯基地に対して一個連隊規模のベトコンが重・小火器で猛攻撃を仕掛けた際、シールズは約3時間に渡る射撃戦の間、負傷を負いつつも仲間の将兵への武器・弾薬の配給を続けた。

続いて、ベトコンは火炎放射器や手榴弾・小火器で白兵戦を挑んできた。
この2度目の戦闘でシールズはさらに傷を受けたが、にもかかわらず、4時間以上続いた戦闘の間、負傷した兵をセーフティゾーンに後送するのを手伝いつづけた。
その正確な射撃が基地全隊員を危機に晒していた敵の機関銃座を叩くべく指揮官が同行者を募った時、シールズはこの非常に危険きわまる任務にすぐさま志願した。
この機関銃座に接近しての3.5インチロケットランチャーによる攻撃は成功し、機関銃座の破壊によって疑いようもなく数多くの戦友が救われた。
しかし、シールズ自身は、友軍陣地に戻る途中で敵によって致命的な銃傷を負ったのである。

猛射撃に相対して彼が示した英雄的勇気と武勇は、合衆国海軍の偉大な伝統の発露であるとともに一層の輝きを加えるものである。

  ◇

(訳注)
シービーズは工兵の一種。「海軍設営隊」と訳される事が多いが、軍属の割合が多かった日本海軍の設営隊に対してシービーズは正規兵中心の編成である。軍事と建設のプロフェッショナル・エキスパートの部隊として独特の地位と誇りを持っている。
1965年当時のシービーズは南ベトナム援助計画に沿って軍事拠点や社会インフラの構築などを行っており、第1特殊作戦部隊のグリンベレーと共に最も早い段階からベトナムの戦争に関っていた。

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