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旅行 Archive
鉄道博物館
- 2008-06-22 (日)
- 旅行
大宮の鉄道博物館に行った。大変立派な施設だった。しかし個人的な趣味の守備範囲にジャストミートするのが弁慶・開拓使号ペアとキハ41307とDD13-1と畏くも御料車位しかないのが残念。もっと北海道型を!(無茶言うな)
企画展のポスター展で、「この夏、最後の連絡船」 キャンペーンポスターでの羊蹄丸の勇姿に不覚したのは内緒だ。
泰平の眠りを覚ました男たち
- 2008-05-24 (土)
- Brown Water Navy | Other | 旅行
渋谷で髪を切り、表参道をしばらく歩いて地下鉄千代田線に乗る。同潤会アパートの一部が保存されていた。D-51の先頭部分をカットして保存しているような按配。
大江戸線に乗継いで両国の江戸東京博物館へ。ペリー&ハリスの特別展を観るのだ。特に、勝手な想像で好き放題描かれた、瓦版でのペルリ提督像を見るのだ。
と、その前に上野アメ横の薮で蕎麦をたぐる。
・・・値上がりしてますよ。モリが750エン(記憶によれば)とは何事であるか。
新メニューらしき辛味大根蕎麦を注文。薬味としておろし大根がついている程度と思っていたら、案に相違して大層な量のおろし大根が小丼に入ってきた。しかもソバツユは通常のモリと同量で、オールドスタイルの辛口少量であるからカキ氷よろしく大根おろしに吸い込まれてしまって全然足りない。
値上がりと相まって、どうも嫌な感じに色気を出しやがったなと思いつつ退店。俺もここでは変な色気を出さずに、モリだけ注文することにしよう。
さて江戸東京博物館に行ってみると、「アメリカ海軍兵学校博物館」、つまりアナポリスが所蔵元の展示品がやたら多い。ペリーはU.S.NAVYのアドミラルだから当然のことであるが、 改めて肖像画を見ると制服がネイビーブルーなんですな。海軍万歳。
ボート砲の再現品と操作マニュアルの展示が目を引く。いわば小発の艦首に据えられた単砲身砲で、必要な時は小発後部に搭載している二輪+尾輪の砲架に乗せて陸戦でも使えるというマルチパーパス砲である。いかにも海兵隊・陸戦隊の匂いがする逸品で、嬉々として鑑賞。
遣米使節の一員として渡米し、帰国後は渡米談の講釈をして廻ったという加藤素毛のコーナーに興味を持った。講談社学術文庫あたりで 加藤素毛の著述を手ごろな本にしてくれんものかのう。
「日本鉄道旅行地図帳」
たまたま入った地元の書店で 「日本鉄道旅行地図帳」の第一号、北海道編を買う。版元は新潮社で680エン。B5版中折りのコンパクトな地図で、旅行の際にも邪魔になるまい。
この地図は鉄ちゃんと鉄子様に特化した内容で、現状地図と廃線もすべて網羅した過去地図の両方がある。この現状地図がすごい。
各地の鉄道記念館の類、25パーミル以上の急勾配区間、信号所、車両基地がもれなく記載されているのだ。
過去地図とあわせて資料的価値が高い。我と思わん鉄オタは今後の続巻もあわせて入手すべしであるか。
◇
本日の「つよきす2学期」ワンポイント:素奈緒ルート終了。これじゃ「みにきす」やってない一見さんにはサーッパリわかんないって。
高山不動と関八州見晴台
- 2008-05-17 (土)
- 旅行
西武池袋・秩父線で西吾野へ。高山不動へ登るのだ。唐突だが自分的には以前からの懸案であり、今年のゴールデンウィークに行く予定だったのが天候が思わしくなかったので延期していたのだ。

冬の間に鈍りきった身体にはきつい。次のリエナクトまでに鍛えんと。


ガイドマップ記載の推奨コースではないバリエーションルートで、杉林の中の渓流を渡るタヌキに遭遇。そりゃ猟友会も張り切って射線おかまいなしになるわ。
今回判ったのは、俺は単なる山登りは実はそれほど好きでもなく、コース上に産業遺産や歴史的建造物や廃墟や古戦場がないとモチベーションが激減するらしい。現在の高山不動にはかつての賑わいの模様を今に残す現物はほとんど残っていないため、その意味では落第だった。
次回はユガテ辺りを考えていたんだが、秩父札所ご開帳巡りに切り替えようか。
横浜中華街と氷川丸
- 2008-05-10 (土)
- つよきす | Brown Water Navy | Other | 旅行
雨天の中、横浜へ。前職の時にお世話になった人と会う。定年退職した女性だが、随分と若々しい。中華街の順海閣本館で昼食、のつもりが長々と15時ごろまで話し込む。
その後 、氷川丸へ。この4月に日本郵船の管理下に入ってリニューアルされたそうで、船舶文化財として内装が往時の状態に復元されている。外装も錆び落としの上再塗装されており、関心のある人は色あせぬうちに訪れた方がよいだろう。
各船室やラウンジ・サロンは明治村を思わせる再現度で、ここは是非とも軍服人間サイトーさんによる狼藉撮影会を期待したいところである(笑)。基本的には1930年代の再現を目指したようで、戦後の船内状況とはまた違う のではないかと思う。病院船時代や引揚船時代もあわせて、各時代を再現した区画があっても良いのではないだろうか。
一等船室と三等船室との間の格差に愕然としたり、機関室のディーゼルエンジンと補機類の巨大さに驚愕したりして大いに堪能。ディーゼルタービンエンジンではない、船舶用の大型ディーゼルピストンエンジンを間近に見たのはこれが始めてだったかな。全長何メートルもあるこの巨大なピストンシャフトがアリューシャン列島の暴風圏の猛烈なローリングの下で規則的なビートを刻み続けていたのだと想像し、そして機関部員の艱難辛苦を想い、正直感動を感じ得なかった。
そう、それはJobではなくDutyだったのだろう。俺にはDutyの意識が足りなすぎる。反省。
帰路は水上バスで横浜駅に戻る。普段ならこういう場合は後部の露天甲板で潮気を浴びるのだが、雨が降っているのでおとなしく船内に着座する。平底船の喫水線に近い位置で、こりゃLST改造河川砲艦のクルーに近い目線だなと気づく。経験値が上がった。何の経験値だ。
◇
本日の「つよきす2学期」ワンポイント:乙女おねいさんルート終了。・・・・・・まだだ、まだ素奈緒と瀬麗武が残っている・・・。彼女らのシナリオに希望を・・・・・・。
JRダイヤ改正と「なは」
- 2007-12-01 (土)
- 旅行
この3月にJRダイヤ改正で「銀河」「なは」「あかつき」その他が廃止、「日本海」「北斗星」一往復化など、寝台夜行列車に大なたがふるわれるという話。
時は今、かつての沖縄航路接続優等列車「なは」に乗って鹿児島に行き、海路那覇へ・・・は2昼夜かかるので途中の種子島か屋久島へと赴いてくれん。と意気込んで時刻表を開いたら、今の「なは」は熊本止まりなのでした。九州新幹線に呪いあれ。
恐山・青森・函館(3)
- 2007-10-22 (月)
- 旅行
三日目。函館市内観光の後、夕方のAIR DO機で帰京の予定。
チェックアウトのついでに市電一日乗車券を購入し、駅のロッカーにバックパックを放り込んでから五稜郭へ、と、その前に途中下車して自由市場に立ち寄る。
蟹屋のオバチャンにタラバガニの生はないか尋ねたところ、浜茹でが主流とのこと。でもあそこなら・・・ともう一軒の蟹屋を教えてもらう。こちらで首尾よく生タラバを入手。任務終了、意気揚々と五稜郭へ向かう。朝一の時間だが観光客で混む五稜郭タワーを尻目に、函館市北洋資料館へ。函館の遠洋漁業にまつわる資料館で、コンパクトだが充実した展示。
100トン級漁船の操舵室を模したシミュレーターが面白い。スタートするとローリング40°級の猛烈なピッチングが始まり、北斎の神奈川沖浪裏もかくやという大波の映像が操舵室外のスクリーンに映し出される。
五稜郭公園に行く。月曜日なので私立函館博物館五稜郭分館は休館日。五稜郭奉行所の復元工事のため、公園の中心部には大規模な板囲いがなされている。史料上ありえない天守閣を鉄筋コンクリートで建てるというような冒涜物の城ではなく、古写真等をもとに考証にのっとって復元するらしい。説明書きを見るとかなりの威容を誇った建物だったようで、落成が愉しみである。もののついでに、堡塁の一つにでも銃砲と人形を配して箱館戦争の再現ジオラマを作ってくれんだろうか。露天だと傷むから無理か。
市電で谷地頭へ行き、碧血碑へ。停留所前の和菓子屋で大福を買い食い。甘味抑え目の江戸好み風。自宅の近くにあれば贔屓にしたいところだ。
さて、碧血碑まで延々歩きの開始。住宅街からちょっと小径に入ったところが参道だ。山道の趣の細い未舗装路で、新選組萌えの腐女子がうっかりパンプスなんかで辿ると後悔するに違いない。標高差がきつい。碑に着いた時には息切れがした。
樹木に囲まれた鬱蒼としたところで、しかしじめじめとした陰気さはない。新政府に憚りつつ建てられた旧幕府軍の弔い塔、という性格を知っているからそう感じたのだろうか。眼下に遠く函館港が見える。碑の周りは地味だがきちんと掃除されており、供えられた花のしおれ具合から見てもここが決して人々に忘れ去られた場所ではない事が判る。
函館八幡宮を経由して市電停留所に戻る。昼食にはぜひとも五島軒でカレーを、と意気込んで十字街で降りた。さて五島軒に着くと想像より格式が高そうなところで、ジーンズでサービスを受けるのは気が引ける。結局、うなだれつつ再度市電に乗り込み、五稜郭タワーの2階にある五島軒支店へ。ここはカレー専門のカジュアルな雰囲気で気軽に入れる。最も伝統的なイギリスカレーを注文。帝国ホテルの流れを汲んだ、中辛のバランスの良い味。
また市電に乗り、今度はどっく前へ。たまたま来た車両が39号車「函館ハイカラ號」だった。明治時代に製造された車両が除雪ササラ電車に改造され、長らく事業用として使用されていたものを原形に復元した貴重なものである。嬉々として乗り込む。
当車は内装にも無垢の木材と真鍮を使用しており、本物の素材が重厚な存在感を放っている。よくありがちなレトロ風観光車両とは一線を画している。乗っているだけで嬉しくなるが、現地の人にとってはいちいち車掌から切符を買わねばならないのがわずらわしいらしい。見ていると当車を敬遠してすぐ後続の一般型ワンマン車に乗り込む人が多い。そのおかげで当車はほぼ貸し切り状態だ。揺れも激しい。原形が古い2軸ということもあるのだろうが、軌道の本格的な補修が必要なようだ。帰路で最新鋭の超低床LRV、9601号車にも乗れたが、やはり揺れるところでは揺れる。
どっく前停留所の親切なおねいさんに港に帆船が入港していると教わる。急いで埠頭に行ってみたが既に港内の奥へ進入しつつあり、タンカーの向こうの3本マストしか見えなかった。そのかわり、海保のカッターが今まさにもやい綱を解いて出港しようという場面に遭遇。駆けつけて見学する。
そろそろ時間となったので西波止場で土産物を物色。予想通り「白い恋人」はきれいさっぱりと撤去されていて、その旧領土を六花亭とロイズとが争っている。くじら汁のパックとカール・レイモンのサラミ、北見ハッカのミントティーバッグを自家消費用に調達する。
駅でバックパックを回収。バスの時間を間違えて乗り逃し、やむなくタクシーを使う。湯の川あたりまで市電で行ってからタクシーに乗り換えた方が金の節約になった筈だが、まあ今さら仕方ない。湯の川まで行ったらタクシー捕まんなくて俺涙目という展開もあり得た訳だし。
AIR DO機は初体験。ローコスト運営ということであるがみすぼらしい雰囲気はまったくなく、むしろほのぼのとした手作り感が気持ちよい。 困る事というと羽田空港の駐機スポットが外れの方なのでかなり歩くという位だが、機内預け荷物がターンベルトに出てくるタイミングにちょうど良い按配なので不都合というほどではない。
モノレールの荷物置場にバックパックを置き、パイプに腰かける。ま、これで長年の心残りを大分消化した今回の旅も無事終わったな、と。
恐山・青森・函館(2)
- 2007-10-21 (日)
- 旅行
本日は龍飛崎を経由して青函トンネルから函館入りの予定。0601時青森発の普通列車はE751系だった。特急「つがる」の間合い運用で、真新しい特急型ながら特急券なしで乗れる。ほとんど乗客のないままに出発進行。見た目は特急でも普通列車の証しに、やたら対向通過待ちが多い。長大なコンテナ貨物列車が2本連続してやって来たりする。津軽線では貨物列車の方が普通列車よりも偉いのだ。
蟹田で下車してキハ40系2両編成で三厩へ。雨はやんだが曇り空でいささか陰鬱。終着駅の三厩から町営バスで龍飛岬へ。津軽海峡の海岸にへばりつくように立ち並んだ漁師小屋の列に沿って進む。
龍飛漁港から先、龍飛灯台までは夏季シーズンのみの運行。両停留所は標高差が結構ある。
龍飛岬だ。風が強い。暴風が遠慮なく吹きつける。「提督、乗員が2人波にさらわれやしたぜ!」と名倉(注 大航海時代OnlineのNPC副官キャラクターの俗称)が報じそうだ。 「津軽海峡冬景色」の歌謡碑がある。ボタンを押すとかの曲を奏で出した。周りに誰もいないことをこれ幸いと、「キエフ発の軍用列車、降りた時から~」と独唱。愛するなごみ、今日も僕はまた一人ナチを撃つ。
しかし風が激しすぎてスターリングラードのスナイパー映画どころではない。日本唯一の「階段国道」でうっかり大分下まで降りてしまい、戻り路でエラい思いをする。途中の分校跡地あたりで引き返せばよかった。
龍飛灯台まで登る。この強風下ではかなり無謀。バックパックが余計に風を受けるのでまともに立っていられない。津軽海峡を日本海から太平洋に向けて、無慮数千の白い龍が疾っている。龍が飛ぶ岬、だ。
青函トンネル殉難者碑に寄り道しつつ青函トンネル記念館へ。ここの食堂で早めの朝食兼昼食。700円とは高いお値段のラーメンだと思ったら、丸々一匹分の立派なホタテが入っていた。麺と塩味スープもこういう施設付属のレストランとしては上出来。何よりも、寒風に凍える思いをした後にはこの熱さがありがたい。
カロリーを充填したところで体験坑道の見学コースに参加する。竜飛斜坑の海面下140メートルに至るケーブルカーで、坑道入口の気密扉がせりあがっていくところなどウルトラホーク一号の発進シークエンスを思わせて心が躍る。ただしこのコースでは竜飛海底駅そのものには案内されない。実は以前に竜飛海底駅見学きっぷコースを利用したことがあり、その時の記憶と比べるとやや物足りなさもあった。
地上に戻ると、団体観光客がバスで乗りつけていて混雑していた。屋外は相変わらずの猛烈な寒風。レストランでコーヒーを注文し、町営バスの到着を待つ。窓から白い龍が見えた。
三厩から蟹田まで戻り、1346時発の「スーパー白鳥9号」で函館へと向かう。車中で昨日買った「どくとるマンボウ航海記」を読む。すでに中公版新潮版角川版のそれぞれを所持している身だが、改めて再読するとやはり面白い。挿し絵の佐々木侃司(ささきかんじ)のカットの魅力も再発見。青函トンネルでは竜飛海底駅通過だけは気をつけて確認したが、吉岡海底駅の方はドクター北の奇行を追うのにまぎれて見逃してしまった。
北海道上陸。海側の席なのでぬっと飛び出た函館山のシルエットがよく見えた。山頂一帯が要塞地帯だったのもうなずける。五稜郭機関区に並ぶDD51を眺めてハアハアし、間もなく函館着。函館朝市前のフィットネスホテル330函館にチェックイン。ダブルベッドのシングルユースで大変立派な部屋だった。これで日祝限定プラン3300円とはかなりお買い得だ。
街へ出て、「摩周丸」へ向かう。こちらの船内は大分改装されているが展示物の手入れは行き届いている。メインブリッジで元乗組員の館員さんに、「もうすぐ上で汽笛を鳴らすよ」と教わる。毎日17時に鳴らしているらしい。デッキに上がると間もなく、長声一発。あまりの大音響に飛び上がった。
船内を一巡。併設のクラシックカーミュージアムにも行ってみる。主にアメリカの、自動車黎明期から70年代あたりまでの乗用車を集めたコレクション。館内も展示車もたいへん美しい。
オイルショック以前のアメ車の巨大さに驚愕。ハマーや2トントラック級のバカでかいシロモノですら「ミドルクラスファミリーカー」だったのだから、アッパークラスは推して知るべし。
ミュージアムショップでは連絡船関連グッズも売っていた。復刻版硬券乗船券に気を引かれたが、透明パッチ加工されているので見送る。
夕食は寿司でもと考えていたが、もう面倒くさくなったので函館西波止場で塩ラーメンを食べて帰る。有名ラーメン屋の4名が大同団結してプロデュースした由。
恐山・青森・函館(1)
- 2007-10-20 (土)
- 旅行
本日も雨天。定刻0605時に本八戸駅前着。0615時発の八戸線で八戸に0625時着、0634時に同駅出発で野辺地へ。今回の行程中この部分が最もクリティカルな接続で、「シリウス1号」が遅延でもしたらたいへん困った事になったのだが、ちゃんと定時で着いた。どうも俺が旅程を立てるとなると時刻表パズルの趣になり、いざ実行しようとなると緻密過ぎて破綻のシンパイをせねばならないのが悪い癖だ。
東北本線の野辺地まではキハ40首都圏色の単行ディーゼルカー。昭和末期のローカル線の匂いのする列車に嬉しくなる。大湊線はもっと格下の編成であるかと想像したが、同じキハ40とはいえアコモも一新した近代化改修車両、しかもキハ48との2両編成で白地に赤ラインが眩しい。乗客はほとんどが地元の高校生だ。女子高校生で眼福かというと、残念ながら4人がけボックスシートでは他のボックスの様子は窺えない。
下北駅前は工事中で、バス停が200メートル移動していた。しかし、バスの出発時刻には補正がかけられていない。駅前の貼り紙を見て慌てて足早に移動して丁度間に合った。バス正面の行き先表示幕には禍々しく「恐山霊場行き」と 大書してあるが、ボディ側面にはポンチ絵の広告が描かれている。同じポンチ絵なら、水木しげる御大か梅図かずお先生に禍々しきところを一筆願ってみてはどうか。
くだらない事を考えている間に出発。恐山まで片道40分の行程。途中、冷水で水飲み停車。霊験あらたかという湧き水を飲む。当初はここから恐山本堂まで徒歩でアプローチする事も考えていたが、 さてバスに戻って走り出すとこれがまた物凄いアップダウンと急カーブで、8~12パーミルの勾配が連続する難路。うっかり歩いたりしないでよかった。
カーブの度に地蔵尊が立っている。いやに交通事故の犠牲者の多い道路だな、呪われてるンじゃないのか、とうそ寒い気分になったが、よく見ると地蔵尊の台座に何十何番と彫られている。実はかつての巡礼街道の道順を示す名残なのだった。これらの地蔵の一つ一つに礼拝しつつ山道を辿った巡礼に想いを馳せる。
バスが赤い太鼓橋の脇の自動車橋を通過。まもなく恐山霊場に到着した。
これは、来るのが数年遅かったか、あるいは数年早すぎたようだ。近年の改修によってあまりにも小奇麗になった恐山の諸施設を一瞥し、やや落胆する。改修前なら無論のこと、今後数年もたてば真っ白い大理石にも風雪と硫黄ガスによって何がしかの風格もつくであろう。その頃には俗化がますます進行しているかもしれないが。
それでも奥の院の不動明王まで登り、火山ガスの噴出する地獄巡りをしていると厳粛な気分になってきた。 宇曹利湖の砂浜が美しい。一見清らかな湖水でありながらまったく生命の気配がしない。人類滅亡アンチユートピアSFの世界だ。
21世紀初頭の腐れオタクだからこの程度の感慨で済むが、さらに遡った時代の人々にとっては大変な無常観を受ける光景だっただろう。そう、書物や説法、せいぜい立山曼荼羅図といったメディアしかない時代に、唯一ここ恐山こそが地獄と極楽が超絶的なリアリズムをもって再現されている超体感型施設だったのだ。それに接した人々のショックはいかばかりであったことか!エウレカ!
施設が新しすぎるの軽薄だの、などというのは瑣末なことであって、やはり実際行ってみないと判らんもんだ。一日往復四本しかないバスの時間待ちに食堂でソバを啜り、なお時間が余ったので太鼓橋まで歩いていってみる。三途の川と名前がついているが格別どうという事もない。大体、俺が三途の川を渡る時には黒ベレーを被ってPBRに乗っている筈なのだ。
復路は冷水の停車はなし。下北駅での上り「快速しもきた」待ちが約一時間。駅前のゲームソフトレンタル屋兼古本屋で物色するが、出物はなし。新潮文庫版の「どくとるマンボウ航海記」を購入。駅に戻り、間もなく来る下り列車が隣駅かつ終着駅の大湊駅から折り返し運用の上り「しもきた」になることを時刻表で確認。直ちに大湊までの切符を別途買ってホームに出る。駅舎内、改札口上に海上自衛隊の補給艦「しもきた」の写真が掲げられている。海自から贈られたらしい。
下北から大湊まで一旦折り返して乗車する利用者は多いようで、下北駅の切符売り場には「大湊までの往復に有効な乗車券を購入し、大湊では一旦改札から出て乗車待機列の最後尾に並ぶこと」という意の貼り紙が貼ってあった。そのようにすると大湊駅ではすでに大層な行列ができており、ギリギリのところでやっとボックス席に座ることができた。下北駅で乗り込んだ一団はもはや着座は絶望的で ある。ローカル線としては結構な混み具合だ。大湊には海上自衛隊の地方隊もいるし、ひとかどの地方都市として鉄道の利用客も多いのだろう。
青森行きの快速「しもきた」は野辺地で乗客が大分降りた。2時間の行程を終え、かつての青函連絡時代の様子をそのまま留めた威風堂々たる東北本線ホームに滑り込む頃には早くも夕刻である。ホームには洗面台の撤去後がそこかしこに四角く残っている。往時に「八甲田」や「十和田」で到着した頃は悠長に顔なんぞ洗っている暇もあればこそ、この長い長いホームを海側に向かって駆けて、連絡船乗り換えの跨線橋を駆け上がって連絡船乗り場の列に取りついたもんだ。今もその跨線橋は残っており、しかし入口は封鎖されている。
駅前のホテルにチェックイン。まあまあの部屋。すぐ外出し、夕刻の雨のなかを「 八甲田丸」へ向かう。ここ青森の八甲田丸と函館の摩周丸の両方とも、現役時代と退役後に乗船した。八甲田丸は桟敷席や椅子席の一部や機関室・貨車甲板などが原形のまま保存されているが、展示品は手癖の悪い不届き者による荒れが目立つ。泥棒マニアは未来永劫、鉄道のない時代に輪廻転生しますように。
戦後の混乱期の昭和21年7月から昭和22年2月の間、小湊~函館間を米軍供与のLSTで 運行していたとの写真パネル展示が目を引いた。貨車20両積みで片道8時間という鈍足の上、石炭焚きが主流の青函航路の中で唯一のディーゼル機関なので補給には横須賀まで行かねばならないという運用上の問題のために短期間で終わったようだ。このLSTは何隻だったのか、乗組員は国鉄職員だったのかGHQの将兵だったのか。
見学コースの最後に、メカメカしい貨車甲板で静態保存の国鉄車両を鑑賞。スユニ50やヒ600が地味に貴重。
丹念に見学して回ったので退船した頃にはもう日没だった。地場物で夕食と行きたいが、あまり敷居の高いところは避けたい。とりあえず県の観光物産館「アスパム」へ行ってみる。上階にレストランや郷土料理店があったが、今ひとつ引力を感じない。しばらく駅前周辺をウロウロし、結局、駅前の新町通りにあるショッピングビル「アウガ」地下の寿司食堂「魚喰いの田(でん)」にする。
大間マグロはほとんど築地に出荷されるので地元では却って食べられないらしいが、この店では特に契約した漁船から仕入れているとの事。赤身のたっぷりした6切れにホタテのヒモの味噌汁がついた大間マグロ定食を賞味。
恐山・青森(0)
- 2007-10-19 (金)
- 旅行
ぜひ一度は訪れてみたい場所というのがある。
遠近いくつかあるもののうち国内についてはそろそろ片づけておこう、というのが本年の隠れテーマだった。それに沿って石見銀山や足尾銅山などに赴いた訳だが、今回の旅行の目的もまた長年の懸案の解消である。恐山だ。
恐山へのバス路線は冬季運休となる、というよりはむしろ客のいる夏季の間だけ運行しているといった趣だが、10月の末 を過ぎると公共交通機関でのアプローチが難しくなる。どうせならより閑散とした空気を味わうべく10月最終の土日利用で旅程を立てた。その日曜日、28日にベトナム戦争イベント「ベトベト戦」が予定されている事をスコーンと失念していたことに気づき出発を急遽一週間繰り上げとしたのだが、結局のところは様々な事情でベトベト戦には不参加ということになってしまった。後の話だがその28日には風邪で体調を崩していたので、いずれにしろ謎の戦場カメラマンT.タケシマの姿をモトヤリバー河岸で見る事はできなかったであろう。人間万事斎翁が第一騎兵師団。
そんな訳で、降雨激しい池袋三越裏のバス停から高速夜行バス「シリウス一号」に乗り込む。夜行バスはあまり好きではないが、東北本線の夜行列車が廃止になって以来、野辺地から下北半島方面に効率的に赴こうとすると 選択肢が限られるので仕方ない。
日付が変わる頃から熟睡。
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