Archive for 6月, 2007

「マリア様がみてる フレームオブマインド」

今日読んだ本。
マリア様がみてる フレームオブマインド

タイトルと表紙で予想できるように、今作は写真がテーマ。写真部のエース武嶋蔦子さん祭り。
謎の戦場カメラマンT.タケシマも、変な具合に電波を受信してラリー・バロウズの写真集を発注したようです。
Larry Burrows, Vietnam

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川口墓参り

快晴の下、同期3人揃って友人の墓参り。13年忌も過ぎたが、もう完全に毎年の恒例行事化している。
なぜか墓石の前にプロレスラーのビネットが。どこの食玩だ。モデルは誰だ。いや、そもそも誰が置いたのか。
故人がプロレス好きと知っての仕業には間違いない、この前北海道から訪問したというTの奴だろう、と仮説を立てて、合掌。

同期の一人が2歳半の娘を連れて来ていた。ほど近い故人の実家に挨拶。
くだんの食玩はやはり先日にTが置いていったらしい。
更に別の一人が声優業を営んでおり、舞台公演が近く稽古があるとのことで早めに辞去。

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石見・出雲(3)

遅く起床。
10時に大井さんが拉致に来る強制イベントフラグが立っているため、一階でおかみさんと雑談しつつ待つ。
大井さんと合流。相変わらず健康的な様子である。
軽トラで出雲市へ向かう。断続的に荒れ模様の天気。

多伎で軽く休憩。日本海が美しい。
出雲市に入り、出雲蕎麦の「妹尾」へ。出雲蕎麦は事実上の初体験。一見ただの小民家のような構え。大井さんは出雲ソバリエの人であることは承知しているつもりだったが、その神通力の程を改めて理解。これが正統派の出雲蕎麦であるか。

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次いで「風月庵」へ。こちらは郊外の大きめの蕎麦屋といった趣で家族連れが多い。メニューにはラーメンや丼物も並んでいるが蕎麦の味は侮れない。妹尾に比べるとなめらかな食感で、自分としては風月庵よりもこちらの方が好みだった。

その後出雲大社へ。大社は平成の遷宮のため、現拝殿の隣に仮拝殿を建築中だった。昨日咋昨日とは一転して、大型観光バスと団体観光客の大軍に遭遇。大注連縄への硬貨投げに興ずるグループが鬱陶しい。運試しは一発勝負にとどめるべし。大体が神域で嬌声をあげて憚らぬような輩には良運ではなく天罰が下るもんである。

次いで島根県立古代出雲歴史博物館へ。当年3月に開館したばかりの真新しい施設。
何が目玉であるかというと、公式サイトの館長挨拶によれば、

この博物館は、358本という、1か所からの出土数では全国一を誇る島根県斐川町の荒神谷遺跡の銅剣の発掘を契機に、20年以上も前から整備の検討が始められたものです。

古代出雲歴史博物館には、国宝となったこの銅剣や、同じく1か所からの出土数では全国一の加茂岩倉遺跡の銅鐸39個(重要文化財)、そして幻とされてきた13世紀半ばのものと思われる出雲大社本殿の巨大柱(本物です!)等々が展示されます。金色に輝く200本以上の銅剣の復元模型や古代出雲大社本殿の5 メートル近い10分の1模型などとあわせて、ご来館の皆さんを古代の世界にお誘いいたします。

ということで、最大の眼目は銅剣と銅鐸のコレクションである。
銅剣・銅鐸というと経年変化で青緑色になったそれが真っ先に思い浮かぶが、壁一面に並んだ黄金色の復元模型はそんな固定観念を粉砕する。
まばゆい輝きを放つ銅剣、そしてそれを携える者は、その当時はまさしく驚異的な存在、神の化身かと思われんばかりであったろう。その心理的インパクトゆえに、日本では祭祀用具としての方向で進化したのだろう。

大社の周辺は出雲蕎麦屋が多い。店頭のサンプルメニューを覗くと先程行った両店の倍近いようなお値段だったりする店もある。それらの群れから多少離れたところにある「田中屋」へ。
ここでは蕎麦アイスを注文。ココナツのような食感が混ざる面白い味。東京近辺の店でもこういうのを出してみたりしないものか。

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ソバリエの顔は盛大に面割れしているようで、店の旦那から差し入れとして椀子一枚がサービスされた。思うに、単にソバリエというだけでは行く先々でこう好意的には扱われまい。人徳か。

旧JR大社駅を見学。威風堂々たる木造駅舎だが、近くで見るとメンテナンスが行き届いていない。静態保存のD-51 774号機も痛々しい姿を晒している。
駅舎に付属してえらく立派な洗面所がある。トイレではなく文字通りの洗面所の方。かつての蒸気機関車全盛期、大社詣での人々の群れが煤煙を落して身体を清めている姿が目に見えるようだ。

そろそろ空港へ向かおうかというところ、最後に斐川の道の駅に寄る。木次牛乳が名物であるらしい。ガラス瓶の紙蓋を開けてその場で飲む。北海道の現地で産直牛乳を飲んだ事も多々あるが、それらに負けずとも劣らない。単純に味が濃い、というよりも深みがある。総じて「普通の牛乳と違う」という我ながらつまらん感想を吐き、大井さんもあまりに平凡なコメントに苦笑していた。

夕刻、空港に到着。売店の物産あれこれを見て回った後、再会を期して大井さんと別れた。
羽田行き最終便のJALは満席。左舷の窓際から日没がよく見え、眼下の街灯が逢魔が刻に輝いている。
次には鉄の道と、そして可能なら龍原寺間歩の先、あの旧銀山街道を温泉津まで歩きたいもんだ。って、また延々歩くのか俺は。

だが、それがいい。

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石見・出雲(2)

状況によっては早朝にチェックアウトしてもう一度大森に行くことも計画していたが、おおむね見るべきものは見つ、という印象だったのでゆるゆると温泉津へ向かう。
場合によっては大森銀山から温泉津に至る銀山街道トレッキングも考えていたものの、昨日の様子ではかなり荒れていることを覚悟せねばならない。天気の様子もあわせてリスクが大きい。

山陰本線で温泉津駅へ。
観光地図によると駅前あたりに観光協会がある筈だったが見当たらない。ちょっと離れたところにあるのか、鉄道離れの結果であろうかと赴いてみると、「ちょっと」では済まない距離だった。しかも、けしからぬことに閉ってますよ。そういえば今日は土曜日なのだった。おまけに、どうやら観光客相手の情報ステーションみたいな施設ではなく商工会付属のオフィスらしい。
観光客に配るイラストマップに事務仕事の場所を入れて何の意味があるというんだ。地元の関係者にしか役に立たない情報だろうが。もっと考えて作りやがれ。
立腹しながら来た道を戻る。

駅前から時計まわりに、厳島神社-浅原才市生家-安楽寺-温泉津湾-ゆうゆう館-沖泊-櫛島-やきものの里-温泉津温泉と廻ることにする。本日の苦行の始まり。

俺の一人旅というと、何の呪いのせいか延々と歩く事が多い。この温泉津でもさんざん歩いた。
長くなるので歩きの過程は大幅に省略して、沖泊について。
ここは銀山生産が盛んだったころ、数多くの船舶が係留された入り江である。当時の街なみを残しているというが今では完全に過疎化している。なにしろコカコーラの自動販売機すら見当たらないのだ。
ここもまた、観光向けの案内宣伝と実態との乖離が激しい。集落の入口にまったく人気のない地域集会場があり、その前に歴史遺稿の案内板が建てられているが、現存しているのは集会場前の恵比寿神社だけだった。その他の寺院と神社はすでになく、鬼瓦が残っているだけである。
海は美しく、地元の老人たちはすれ違うと必ず会釈してくれる。大変気持ちのよい集落ではあるが、過疎問題が大変きびしい印象だった。

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櫛島からやきものの里に向かうころ、間欠的な豪雨に遭遇。こんなこともあろうかとレインウェアとザックカバーを用意しておいたので雨は問題にならないが、そろそろ昼飯どきなので腹が減った。観光客をあてこんだ外食産業が温泉街以外にはまったくなく、そのこと自体は俗化されていない証しであるので結構な事だが今は困る。ザックの中に行動食があるが豪雨の中では食えん。

やきものの里で十五段および十段登り窯を見学。せっかく復元された日本最大級の窯だが、最近は使用されていないようだ。いや、使われているにはいたが、何やら小若い男性モデルを撮影している。カメラマンとメイクさんと編集者とのグループだ。
資料館などを見てみても、俺の他に観光客は1、2人しかいない。オフシーズンはこんなものなのだろうか。

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窯元の直販を覗いてみたが、どうも装飾性・趣味性が大きくでていて俺にはピンとこなかった。実用のための普段使い器が特徴の焼き物だった筈なのだが、そういうシンプルな実用器は一斗樽なみの大きさの壷しか売っていない。梅干しを漬けるには丁度いいんだが、観光客が買うもんじゃないよなぁ。

そんなこんなで元湯の温泉街へ。「重要伝統的建造物群保存地区」に制定されているだけあって、江戸時代末期から昭和初期にかけて建築された町家や温泉宿が多い。非日常的な街の日常というべきか、力の抜けた印象が良い。

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(続く)

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石見・出雲(1)

岡山の直前あたりで起床。「出雲」と「瀬戸」の切り離しを見学したかったが、連結部から一番遠い14号車だったので止め。伯備線で振り子特急の「やくも」とすれ違う。L特急の年季の入った車体を眺めていて、「サンライズ出雲」は今やこの地方随一の優等列車なのだということに唐突に思い至る。
前日のうちに調達しておいたドーナツと缶コーヒーで朝食をすませ、定刻に若干遅れて出雲市駅着。
接続する快速との乗り換え時間がタイトだったので気がもめたが、実は同一ホームすぐ隣の車線で待機しているのだった。

気動車2両編成のワンマン快速で日本海を眺めつつ大田市へ。
駅前に「石見銀山行き」の看板が掲げられていて、その脇にシャトルバスらしい大型バスが止まっている。
そんなものがあるとは、旧鉄道共済会のJR時刻表にも観光関連ウェブサイトにも載ってなかったぞ。しかも、小便をしているうちに出発してしまいやがりました。
大田市で下車した観光客然とした人は俺の他におらず、バス車内にも乗客はいなかったように見えたんだが、あれは一体なんだったのだろうか。

疑問を残しつつ、駅前の大田市バスセンターへ。昭和30年代から時が止まったような建物で、先日訪れた花巻バスセンターに近い雰囲気を持っているが規模がずっと小さい。
それよりも何ですか、このバス会社は事故を起こして営業停止食らって、それがつい1、2週間前なんですサーセンと、そんな意味の嫌な貼り紙が貼ってありますよ。うーむ。

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バスは満席で発車。約30分後、「大森代官所跡」で下車。大森地区から龍原寺間歩の辺りまでの銀山地区を散策。バックパックが重いがきちんとセオリー通りに背負えばそれほど負担ではない。荷物を背負って歩きまわりつつ写真撮影というのは、謎の戦場カメラマンT.タケシマの得意技なのだ。

曇り空の微妙な天気の下、ゆるゆると大森の街を歩く。
熊谷家住宅を始めとした伝統的な建物が多く残っているが、中には壁も窓も破れた廃屋もある。しかも自治体による建物由緒書きの看板がついているのにだ。
熊谷家住宅は美しく維持された屋内で小袖を着た女性が幾人も案内役を務めており、観光施設としても立派なものだった。天国と地獄の落差が激しい。このあたりが世界遺産登録は時期尚早と言われる由縁なんだろうか。どの軒下にも竹筒の一輪ざしに花が生けてあり、それが自然な印象でたいへん好ましい。

朝日庵で蕎麦をたぐり、銀山公園の横から羅漢寺へ。

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道路と川を挟んだ対岸、岩窟堂に五百羅漢が鎮座している。高野山真言宗の古刹で、銀山の殉職者供養のために寄進された五百羅漢が有名だが、この時は寺宝のご開帳を行っていた。
大元帥妙王と降三世妙王の対、着色像。かなりよく色の残った逸品だった。もうこれだけで石見に来た甲斐があったと、あまりの眼福に住職をつかまえて誉める。開帳の間隔を訪ねてみたが、何年ごとという伝承は特にないとのこと。どうも住職の気分次第な様子である。人物だ。
それよりも、かなり昔の地震のために崩壊しそうな岩窟堂の方が心配らしい。無粋にアングル鋼を組んで支えているが、その支柱も大分腐食しているようだ。改修のために寄付を募っていたが、芳名帳の様子ではまだ目標に遠そうな様子だった。

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川沿いの銀山遊歩道に入って龍原寺間部をめざす。ところが、想像よりも荒れている。おまけに豪雨で河岸が氾濫したため遊歩道が寸断されているらしい。荒れているだけならいいが、復旧工事のために立ち入り禁止になっている箇所がいくつかある。
ここでまたちょっと考えてしまう。銀山遊歩道が一部通行できませんという情報が流れていないのは何故なのか。石見銀山の観光に関するwebサイトはいくつもあるが、こういうナマの情報がまったく載せられていないのは何故なのか。せめて大森のゲートウェイである大森観光センターなり他のところなりに、遊歩道の最新情報を貼り紙するくらいの機知はないのか。世界遺産登録を目指そうというのにこれでいいのか。

まあ、この荒れよう寂れようこそが目的なのも確かなので、むしろ喜んで草むす道を辿る。

護岸工事の脇を通って清水谷精練所跡へ。
明治の一時期に近代精練技術の導入を目指して建設されたが、資源枯渇のため2年とたたず廃棄されたもの。メキシコの階段ピラミッドを思わせる石造りの大規模な建造物だ。
一応周囲にロープが張り渡されて立ち入り禁止になっている。しかも、ロープにたどり着くまでに薮こぎをしなくてはならない。
これほどの存在感のある遺跡が樹木生い茂る中に放置されているのは一体どうしたことか。今思うに、銀山関連の遺物遺跡があまりにも多すぎて、明治期の若い遺跡に対するプライオリティが低くなっているのであろうか。

散歩というより完全に森林の旧道トレッキング状態。いいかげんくたびれて龍原寺間歩に至る。その手前でちょっと迷う。
龍原寺間歩は現在唯一の観光客が入坑できる坑道だが、一方通行の通り抜けとなっている。その入口と出口は直線距離・標高ともかなり離れている。間違って出口側に道を辿るとだいぶん無駄足となってしまう。
で、その無駄足を踏んだ。地図をよく見ていれば間違わないんだが、疲れてくると重要な情報もつい見落としてしまう。現地の誘導掲示もちょっと言葉足らずであるか。

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龍原寺間歩は鬱蒼とした森林の中に坑道を開けていた。周辺のいたる所にも間歩跡が残っている。
入坑。手掘りの鑿跡が荒々しく残っている。坑道は結構長い。照明は最低限だ。
なにか概視感がある。
「グッドラック・サイゴン」でトンネルラットの話の舞台になったベトコントンネルだ。
先端の切羽まで入り、一旦引き返してトの字型の脇道から出口に向かう。この脇道は近代工法で拡張されており、多少ゆるやかな登り勾配になっている。
直線だが意外と長く、途中2ヶ所に休憩用の折り畳みベンチが設けられている。

帰路は龍原寺間歩前からバスを乗継いで大田市駅前まで戻った。
今夜の宿はスカイホテル大田。清潔な部屋とシンプルなサービス。

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石見・出雲(0)

終業後、一旦帰宅して東京駅へ。2200時発の「サンライズ出雲」で出雲市まで乗り通すのだ。
今回のテーマは石見銀山。世界遺産登録の話が持ち上がる前から興味があった場所であったが機会に恵まれず、俗化する前に行っておきたかったんである。
切符を手配する直前に登録が微妙な情勢になってしまったが、初志貫徹ということで計画を進めた。

東京駅には2100時ごろ到着。八重洲地下か大丸で寿司でも調達しようと思っていたが、終業時間というものがあることを失念していて時すでに遅し。仕方なく駅構内に入るとこちらの駅弁屋もそろそろ店じまいに入り出しており、慌てて鮭寿司とエビスビールを確保。近ごろは夜行列車の出発時間まで開けておいてくれないのか。夜行列車自体の利用率も良くないらしいので仕方ないのだろうか。

うどんツアーの時のサンライズ瀬戸に続いて2度目の乗車となる今回はB寝台シングル個室の上階。進行方向右側。東海・山陽道では山側だ。一瞬、しまった抜かったかと思ったが、実際に海が見えるのは日の出後に日本海側に抜けてからなのだった。よってこちら側が海だ。よし。

定刻に発車。見た感じでは乗車率30~50%というところ。他の車両の検分をしていないので正確なところは判らないが、入線前にホームに待機していた乗客の数からすると決して盛況とは言えない筈だ。
高級カプセルホテルのような室内は快適。10分くらい遅延しているのが気になったが、小田原あたりまでぼんやりした後に就寝。

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バン・パオのクーデター計画

ラオス政権の転覆計画した疑いの10人、米国で逮捕(CNN.co.jp)

米国でラオス政権転覆の陰謀 傭兵集め武器輸送計画(asahi.com)

AP通信によると、米検察当局が同日、米カリフォルニア州在住で、旧ラオス王国軍のバン・パオ元将軍(77)ら在米モン社会の指導者8人と、武器購入の仲介役をした元米軍中佐の計9人を、中立法違反の罪で連邦地裁に起訴した。

 起訴状によると、元将軍らはラオスの軍人や役人の襲撃や建物の破壊を計画。5月には現地のスパイから軍事施設や政府庁舎の情報を入手した。数百万ドルで対戦車砲や地雷を買う予定だったほか、元米海軍特殊部隊員も雇い入れようとしていたという。

バン・パオ(ヴァン・パオ)は旧ラオス国王軍の将軍で、1960~70年代のラオス内戦時の大立者だ。
CIAのバックアップの元にモン族の首領としてパテト・ラオと敵対し続けた人物で、インドシナ半島でのエア・アメリカの活動を語る際には必ず言及される。前線に姿を見せると部隊の士気が猛烈に上がるというタイプのリーダーで、一種のダイナモ的人物だったらしい。

内戦に破れたバン・パオは隷下のモン族とともにアメリカに亡命した。内戦時代からすでにモン族は難民化していたが、パテト・ラオ政権の樹立とベトナム戦争のベトナム化によって更に苦しい立場になった。アメリカとしてはラオスでCIAが秘密戦争の陰謀をやってました、しかも負けました、とは公には言えないので、南ベトナム難民に比べても大分不利な立場だったろう。

そういう事なのでバン・パオの悲願、モン族らと共に再びラオスに還る・・・というのは心情的にたいへん理解できるんだが、まさかこの期に及んで「戦争の犬たち」ばりのクーデターを企むとは・・・!

  ◇

木曜夜から石見銀山に旅立つ予定。
その準備のために小物を買い歩き。

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カリマー

カリマーのザック、holly 40を購入。イエー。
パネルローディング式でファスナーにロックを付けられるという条件で選んだ。
色は黒。スズメバチ誘引色。秋の里山でなければ多分大丈夫。の筈。
店頭で詰め物をしてある展示物を見ると40リットルでもかなり大きく感じたが、帰宅して21リットルのパックと並べると案外小さく感じる。

カリマーといえば英軍仕様のODやDPM迷彩バージョンもあるが、PLCE装備は専門外なので考慮しませんでした。あー、でも、デザート迷彩仕様があったら・・・いやいやいや、英軍向けはどのタイプもトップローディング式だから前提条件満たしてないし。気を確かに持て俺様。

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「甲陽軍鑑」

最近読んだ大河ドラマ便乗本。
甲陽軍鑑

山本勘助関連の便乗本は数多く出ているが、そもそも勘助について記している文献が「甲陽軍鑑」の他にはほとんど無いというような状況なので、余計な講釈ぬきかつお気軽にオリジナルの甲陽軍鑑を読みたかったんである。
割とボリュームがある原書から、特に山本勘助と武田晴信に関連する部分をより抜いた抄本がこのちくま文庫版。抄本だが、読む目的からすると必要十分な範囲だった。
こう出来のいい抄本を出されると全文を読みたくなるから困る。

  ◇

バックパック欲しい病に罹患。先日の東北旅行で薄々感じたのだが、やはり30~40リッター級を用意した方がいいのかもしれない。

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俺は失望した!

「きみある」全キャラクリア。

なんですかこのつっかえねーシナリオ書きは!(げしげしげし)
アニメ化の際に補完すりゃいいとか激アマなこと考えてねーだろな!(げしげしげし)

どこがダメかというと、「溜め」がないんだな。起承転結の転がなくて起承結。それだけならまだいいが、キャラによっては起結になっている。ふたつみっつ良いシナリオがあったが、これだけ注目されていた作品で半分以下しか評価できるホンがないというのはどうなんだ。スペシャルじゃないぞ。

これで「つよきす」もある意味で延命したようなもんだ。

   ◇

本日の「きみある」ワンポイント(最終回):揚羽「ちゅっ(ズギュウウウウウウウン!!)」

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