Archive for 4月, 2004

しーさーやいびーみ?(その4)

2日目も早や夕刻。
東シナ海に傾きつつある太陽の下、ざわわざわわと砂糖黍畑を抜けて琉球村へ向かい、トヨムラ夫人をお出迎え。缶カラ三線を抱えてご満悦だった。胴(ティーガー)が空き缶、竿(ソウ)が白木と実用一点張りで装飾性のまったくない一竿だが、逆に都内の沖縄ショップでもあまり入荷しないのか滅多に見かけない一品である。我々が予定より遅れたせいでドライバーたる哀れな旦那様の脳天に缶カラ三線が一閃されたような気がするが、多分幻覚だろう。

黄昏の中を「美浜アメリカンビレッジ」へ。
北浜町に開発されたアメリカンスタイルのリゾートタウンで、身も蓋もない言い方をすれば台場と青海と幕張を足して3で割ったような小奇麗な街である。東京モンがわざわざ『沖縄のお台場』に行ってどうするのかと思われるかもしれないが、大型ショッピングモールの「アメリカ屋」の系列店とライブパブ「カラハーイ」という目玉が目当てなのである。
モータリゼーションの極まった沖縄らしく広大な駐車場にパークし、Hanaちゃんと真っ先に目指したのはショッピングセンターのATMコーナー。前日本日と買いあさった為に、2人とも早くも「アパム!弾持ってこいアパーム!」状態なのであった。
ところが、土曜の18時を過ぎたためか、あるいはメインバンクが地元の地銀と提携していないためか、2人とも現金を降ろせない。バールのようなものを調達してきてATMを破壊したくなったが、美浜アメリカンビレッジの再開発は既に終りつつあり、そのような基礎的工具は見当たらぬ。
致し方なし。大丈夫かな、今晩の資金は残っているかなとロサ・フェティダ・エンプティアーモ(違ったかもしれない)と「アメリカ屋 WAREHOUSE」へとトボトボ歩く。

「アメリカ屋」は沖縄のサープラスショップでは最大手で、かつては東京にも複数の店舗を展開していたが昨今の不景気で撤退。本島の各店舗も統廃合し、ネットショップも積極的に展開と、時流に乗った立ち回りをしている。現在の本店はここ美浜のWAREHOUSEで、他に数店舗があるらしい。
WAREHOUSEは倉庫風のとても広い床面積に吹き抜けの開放的な店舗で、新宿アルタにあったプープマックニン等でおなじみの「アメリカ屋風」の雰囲気が健在。その一方でお値段もアメリカ屋価格で、品数も多く安いには違いないのだが沖縄相場からすると高値で、早い話がこの小奇麗な店舗の諸経費分が上乗せされているのであろう。これは当然な事で、不当にボッタクリをしている訳ではない。魚市場とデパ地下では自ずから違う。
アメリカ屋の魅力はその品揃えで、特に、物自体はレア物ではないが他のショップでは滅多に取り扱わないような消耗品的小物が狙い目であろう。例えばヘルメットバンドのスペアとかドレス用蝶ネクタイ等。自分も後者を購入。

いよいよ夕闇の迫る中、中心街の広場へ。
広場は若い衆のストリートパフォーマンスの聖地のようで、スペイン階段にもギャラリーが鈴なりだった。カデナエアベースのリアルヤンキーも多い中で小若い日本人がHipHopを踊るというのはどこか気恥ずかしい風景だが、演者も観衆も屈託なく楽しんでいる。
小若くはない我々はサマースタイル全開ミニスカの股全開で腰かけるウチナーギャルをニタニタと眺めつつスペイン階段を上り、A&Wへ。
ホットドッグのセットを注文してテーブルに収まる。A&Wの対面はダンススクールでレッスン場がよく見える。折しもかーいいギャルが熱心にレッスンをしており、否応なしにしりちちふとももを眺めさせられてしまう。
これはいかん、と手近の地元新聞を開くと北朝鮮で列車大爆発などという目を覆わんばかりの殺伐としたトップニュースで、しりちちふとももの方がまだ精神衛生によろしい。新聞を放り出してダンススクールに視線を戻すとギャルはレッスンを終えて退場しつつあり、入れ代わりに男性がスタンバイしている。
「じゃ、行きますか」
即、退店。

トヨムラ夫婦と合流。地場製バカTシャツ屋のHabu Boxへ。工房倭人やシュガーケーンなどの和風Tシャツやアウターが大好きなもので、琉球テイストあふれるTシャツを丹念に検分する。長々続く検分に呆れたトヨムラ大兄とHanaちゃんは次の店へ先行。
ウィットに富んだいいデザインが揃っているが、都内で着るにはちと外しすぎかな、と思う。工房倭人のセンスを規準にするとやや物足りないところもあり、散々買うた止めた音頭を踊ったあげくに自分用と土産用に1着ずつ購入。辛抱強くつきあってくれたトヨムラ夫人はしきりにエロ物Tシャツを勧めてくれたが、自分のような謹厳実直な紳士になんと罰当たりな提言であろうか。ああ。

「アメリカンデポ」のB1Fでトヨムラ大兄とHanaちゃんに合流。アメリカ屋の系列店なのでめぼしい物はWAREHOUSEだけに出庫かと思いきや、ヨーロッパ物やフライトジャケットが豊富だった。
サムズのクマさんにイタリア・サンマルコ海兵隊の迷彩パルカを土産にすべく熱心に検分するHanaちゃん。ライナーのある無しに関らず同価格なのはおかしい、とバイト店員風のおねいちゃんに確認を求め、最終的にはマネージャーとおぼしき男性と交渉していた。後で「同業者さんですか?」とか言われたと首をかしげていたが、筋金入りコレクターとしてタフ・ネゴシェーターっぷりを晒していた自覚がない模様であった。
そんなロサ・フェティダ・タフネゴシェーター(違ったかもしれない)の友情ゆえの奮闘を横目に、M65フィールドジャケットをチェック。畳まれて平積みされているので面倒くさいが、その甲斐あってアルミジッパー・サイズSの出物を発見。価格も出物。イエー。
本日のミリタリーショップの打ち止めは「SOHO」。これまたアメリカ屋系列で、品揃えは一見「アメリカンデポ」と同じ、かつ安い。その代わりにアメリカンデポよりも程度の劣る品や再染色・断裁した加工品が主力で、我々的にはあまり魅力のある店ではなかった。

小雨で肌寒くなりだす。
パブレストラン・・・というかライブハウスの「カラハーイ」へ。「ティンクティンク」のステージと共に美味な沖縄系創作料理を楽しむ。ティンクティンクも良かったが、バック三線の木訥なお兄さんがいい感じだった。美ら島万歳。

ホテルへ戻り、本日の戦果を棚卸し。浴室に戦果を吊るして「チャオ ソレッラ!」ごっこを始めるロサ・フェティダ・ビバライトティンク(違ったかもしれない)を横目に、入床。そのうち電灯が「茶色く」なった。

(つづく)

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しーさーやいびーみ?(その3)

 一つ一つの店でのんべんだらりと過ごしていると後で時間的にしわ寄せが来るので、予め各店の探訪は1時間程度と決めていた。今回のメンツは流石に軍事的行動というものをよく理解しているのか、何時何分状況終了と決めたら絶対にその時刻には店外に出ている。つまらない事のようだが、実は近ごろではこれができる旅行者というのはあまりいないのである。観光バスに乗ればよく分かる。

 さて、今度は宜野湾市大謝名の「アメリカンエンタープライズ」へ。
 これまた伝統的な沖縄の軍放出品という印象の店構えである。
 入り口わきにライトウェイトリュックサックのフレームがダース単位で縛られて積まれており、ロサ・フェティダ・フレームエクスプローラー(違ったかもしれない)が鼻血を吹きそうな勢いで店員さんを捕まえて熱心に検分しだす。
 残念ながら歪んでいたり凹みが激しかったりで購入までには至らなかったようだが、何年か経ってライトウェイトリュックサックがいよいよ品薄になったらこれらのジャンクフレームも切った貼ったで再生されて市場に流通するのかもしれない。それ以前に、アルミ相場が高騰したら地金として潰されかねないが。
 TL-29ラインズマンナイフの極上品があり、3人とも1本ずつ3500円で購入。私はほかに米政府調達品のポールペンをまとめ買い。

 次はR58で浦添市の「J&A」へ。都内にも割とあるミリタリー&トイガンショップという感じではあったが、フレンチなリザドパターンのM65ジャケットが捨て値だったので嬉々として買い込む。ボタンが錆びていたりする傷物なので捨て値だったらしいが、この程度なら十分許容範囲と言える傷だった。

 その次は、北谷町の「砂辺軍払下品店」へ。前回の沖縄旅行でちょっと立ち寄ったところで、その時よりも軍装品が少し増えていた。
 ここではレディスの米海軍コートと、パラシュート用迷彩生地製のベレーを入手。
 コートはジャストサイズという事にマナコが眩んでしまっていて、帰京してからレディスであることに気づいた。
 ベレーは、謎な事にサイゴンのテーラーのスタンプが裏地にある。ベトナム戦争時の当時物か、スーベニアとして最近作られたものかは不明だが、どっちにしても何故この店に?というオーパーツである。

(つづく)

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しーさーやいびーみ?(その2)

 0630時起床。本日の天候は曇り。
 ホテルでコンチネンタルスタイルの朝食。
 まずは「琉球村」にトヨムラ夫人を送る。JALプライベートリゾートオクマの近くにある体験型のテーマパークで、一面の砂糖黍畑を抜けた所にある。

 車に残った物好き3馬鹿は、まずは嘉手納基地の北部へ。「ゴルフ場の東にフリーマーケットがある」とのネット情報を頼りに、ちょっと以前に自爆して世間を騒がせた弾薬コレクターの元自衛官が出没していたという自由市場へ向かう。
 目標基点のゴルフ場はすぐ見つかったが緑の芝に赤レンガ・白ペンキのえらく開放的な施設で、フリーマーケットというのは要するにガレージセールの事であるかと思いきや。
 勘を頼りに脇道に入るとすぐ林道然とした道になり、埃っぽい路上を先行する2トントラックは荷台によくわからない草木を山程積み込んでいるのでホーチミン・トレイルの偽装トラックに追走しているような気分になる。
 そのうちに路註している自動車が多くなり、釧路湿原の細岡展望台に至る道がこんな感じだったぞと思っていると、道の両端に掘っ立て小屋の並ぶ界隈に出た。ここが「フリーマーケット」らしい。

 ここは本当に日本国の県庁所在地から小一時間の所なのであろうか?
 東京ビッグサイトや代々木公園あたりで開催される大規模なそれ、あるいは小中学校のPTAや大学祭実行委員会が主催する牧歌的なそれとは全然違う「フリーマーケット」は、ズバリと言えば泥棒市・ブラックマーケットの妖しさに満ち満ちていた。それも、本来ならフィリピンかタイか南ベトナムか、そのあたりの東南アジアの1ピースとして填まるべき風景が何かの間違いでここに出現したのではないか。
 うっかり撮影するとどこからか「Gメン’75 香港編」のヤン・スエみたいな用心棒、それも赤とか白とか青とかいう秘密結社の一員が現れ、大胸筋がいかに発達しているかを間抜けなヤマトンチューどもに誇示し、そしてカメラをそっと-しかし断固とした態度で-取り上げる。
 そんな妄想がたちまち浮かび、物好きなヤマトンチューどもはおよび腰でそろそろと屋台村に近づいたのであった。

 第一印象はまさにカルチャーショック物であったものの、実際にはどの屋台もそのような鉄火場的雰囲気とはかけ離れており、なにやら火事場で拾ったような錆びた大工道具ばかり並んでいる「与太郎の古道具屋」そのまんまな屋台もある。年取って閑になったおじぃとおばぁの社交場でもあるらしく、そこここの木陰の椅子に腰かけてウチナーグチで談笑している。
 とはいえ、やはりここは非合法な存在である証拠に、嘉手納基地司令官だの沖縄市役所だの沖縄警察署だのの警告看板やビラがあちこちにある。丹念に探るといろいろ面白いものが出て来そうだったが、まだどこかおっかなびっくりであったことと、スケジュールの都合で一周して立ち去った。

 帰路は進入路を直進して「東南植物楽園」の裏手の塀を廻ってR329に出、高速に乗って金城町へ。同地の「嶺リサイクル」に向かう予定だつたが、なんと先程のブラックマーケットに出張していて不在とのこと。やむを得ずUターンして石川市へ。もちろん高速道上でいきなりターンなどというヘルス・エンジェルスみたいな真似をした訳ではなく、一旦インターチェンジを降りたのである。
 ヘルス・エンジェルスといえば、ハーレーのチョッパーにまたがったアメリカンなライダーにしばしば遭遇した。沖縄の風土や道路事情にマッチしていて格好良い。

 石川市では「米軍物資放出品の店 のは」へ。基地住宅放出の重厚な家具が並ぶ店頭から奥へ入ると軍装品類が並んでいる。この沖縄で誰がセーターやウィンターコートを買うのかと疑問に思うが、1月の那覇で女子高校生がバーバリーのマフラーをしていた位だから売れない事もないのだろう。現に内地から来た物好きがこうして買い込んでいるのであるし。
 ここで米海軍のウィンターブルー、ダブルの制服上下を購入。破格値の上、ジャストサイズ。兵科が電設員?でちと気に入らないが、その位はあとでどうにでもなる。なんといってもサイズが合う、これが重要なことだ。

 次は沖縄本島を横断してR58に出て、読谷村の「比嘉商店」へ。
 軒の傾きかかった小汚い店と思いきや、店内には天井近くまで古着が詰まった恐るべき魔窟である。宝の山のようだが、発掘には1週間かかりそうだ。照明が少なく、薄暗い。手近な所を引っかいて、ユーティリティシャツのPX物を発見。デッドストックのようだがそれなりに年を経た様子があり、穴は空いていないが定期的な防虫剤の燻蒸で昇天したとおぼしき虫の死骸らしきものがポロリとこそげ落ちる。しかし、そんな事は気にしない。何しろ都内のミリタリーショウ相場の実に十分の一なのだから。

 次いで嘉手納市の「永井古物商」へ。いかにも由緒正しい米軍放出品店兼古道具屋という感じで、新古品の中華鍋から略綬まで雑多な物品にあふれている。ギロギロとした目で店内を漁り、M16のコットンスリング3本と略綬セットを入手。

(つづく)

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しーさーやいびーみ?(その1)

 沖縄に行って来た。
 参加者はHana-G、トヨムラ夫妻、私の4名。このメンツだと当然のように『迷彩服を買いまくって戦闘機見てラフティーか何か食べてウハウハの旅だったのであろう』と思われるだろうが、実際にはそのようなことはなかった。
 いや、方向性はおおむね合ってはいるが細部がかなり異なるのだ。
 買いまくったのは迷彩ポンチョライナーやクレイモアバッグやTL-29ラインズマンナイフであり、見たのは薄暗い照明に浮かびあがるボインであり、食べたのはハリセンボンの味噌汁とブラックマーケット屋台の沖縄スバとルートビアなのである。

   ◇

「ハナさんと一緒に沖縄に行きませんか」とトヨムラ大兄から最初の打診があったのは2月中旬であった。GW前で2泊3日、那覇の国際通りのホテルを利用という基本ラインはすぐ決まり、丁度4月以降の商品が発表される時期であったためにAir & Hotelのセットをすぐ確保できた。

 4月23日(金)、羽田空港出発ロビー2番時計塔に0600時集合。
 羽田発0630時のJAL1901便に搭乗するために異様に早い時間である。この便に間に合うかどうかが内心一番気が揉めたポイントだったのだが、当日はスムースに一同合流。セキュリティゲートを通過したところでこちらに向けて駆けてくる警備員一個中隊に遭遇し、すわ何事!?と思ったが単なる朝の勤務交代であった。

 那覇着が0900時の予定のところ、雨天のせいか15分ほど遅れる。早い起床と搭乗前に缶ビールを空けたために行程のほとんどを寝て過ごす。
レンタカーを借り出し、まずは国営沖縄記念公園の美ら海水族館へ。予定表では2日目の訪問のところ、あまり天候の影響を受けない施設ということで最初に向かう。

 沖縄に数ある観光施設の中で何故に美ら海水族館なのかというと、それは私が大庭詠美ちゃん様のしたぼくーずだからなのである。
「こみっくパーティー」では、お魚大好きなちゃん様と水族館を訪れるデートイベントがあるが、イベントCGやテキストでは何処の水族館かは特定されていない。
 また、『そういえば、売店にぬいぐるみとかあったな。買ってやると喜ぶかな。』とエイのぬいぐるみをプレゼントするエピソードが入る。単純に詠美のエイという地口の可能性もあるが、舞台がエイのいる水族館であると見る方が自然だろう。
 エイがいる水族館であれば関東では箱根園、関西では海遊館、その他小樽など各地にある。日帰りデートであるので関東近辺と見るのが順当だが、場所が特定されていない以上はエイのいる水族館なら全国これ全てしたぼくーずの聖地。そして、美ら海水族館には世界最大のエイ、マンタがいるのである。

 説明が長くなったが、そんな訳で国営沖縄記念公園に到着し、足取りも軽く美ら海水族館へ。気分はもうちゃん様との脳内デートだ。
 国営沖縄記念公園は海洋博の跡地につくられた記念公園で、園内のコミューターとしてダイハツの電気自動車が運行している。子供のころに読んだ学研か何かの図鑑で、「未来の自動車」としてガスタービンエンジンやロータリーエンジンと並んで電気自動車の事が書かれており、実用化例としてこの海洋博のダイハツ4輪車の写真が載っていた。
 そんな記憶がフラッシュバックし、車体のパーソナルネームがユリであることに気づき、幼少の時の思い出やマリア様の心やと様々な想いの交錯する中、とりあえず撮影。

 門前で五体投地をなした後、異教徒ども3人を伴い聖地に足を踏み入れる。
 ちゃん様や聖地云々は置いといて、実はこの美ら海水族館は国際的にもトップレベルの施設であり、沖縄に来たら足を運ぶだけの価値がある所なのである。マンタやジンベエザメが自由気ままに遊泳する大水槽にはいかなる異教徒といえども畏敬の念に打たれるであろう。ましてしたぼくーずにおいておや。したぼくーずとしての立場を離れても、ヘイエルダールの「コン・ティキ号航海記」でのジンベエザメやマンタを巡るエピソードを思い起こしてしばし感慨に耽るのであった。

 雨がやみだしたので公園内の海岸へ。白砂のエメラルドビーチと入り江を挟んで対岸の磯で、自然のままの生物を観察できる。ただし足場は必ずしも良くない上に毒や棘を持つ生物もいるので、渚とたわむれたり砂浜に「好き」と書いてみたりするにはエメラルドビーチの方が良いだろう。

   ◇

 一見暗くて小汚い施設だがこれまた世界的に珍しいマナティー館で人魚のボインを眺めた後、国営沖縄記念公園からミリタリーアイテム探索の本筋に入る。沖縄に米軍のデポから放出になった軍装品が溢れかえり「軍装品天国」と呼ばれたのはもう大分以前のことで、需要と供給が共に縮小した現在では今や昔である。それでも天国の残りカス位はあるであろう、カスすらなくても無いという事実を確かめんと、本土から渡って来た物好き3人はそのような意気込みなのであった。付合わされるトヨムラ婦人の桂さんにはいい迷惑である。

 もっとも十把一絡げにカス呼ばわりするのは失礼で、砂金浚いの笊に残った金のように素晴らしい店もいくつもある。本日2軒目に訪れたORDNANCEもそんな一つだった。
 ナゴパイナップルパークの向かいあたりに立地するORDNANCEは一見よくあるミリタリー物土産店で最初に目に飛び込むのは「ミリタリー風シャツ」や「ミリタリー風アクセサリー」や「銃砲弾薬莢加工の灰皿」のたぐいだが、奥に入ると壁一面、そして天井にタクティカルベストやバックパックが蓑虫のように吊るされている。これだけでも只者ではないが、実は現役海兵隊のリーコン部隊の依頼で装備の改造・製作を請け負っている凄い店なのである。
 店長の好意でバックヤードの工場を見学させていただいたが、年期の入った業務用ミシンが何台も並んでいるのが印象的だった。店舗の2FにはF84のボディやコックピットパネル等が展示されているが、今では空軍物は主流ではないように見受けられた。

 高速道で一旦那覇へ戻り、R329に入って北上。途上で名もない古物屋を発見。店頭に旧タイプのパラコードが束で山積みになっている。あんてなニ感度アリ。
 生活感あふれる店舗に明らかにヤマトンチュー顔の物好き3人がゾロゾロと入ってきたのでごくごくフツーのおじぃとおばぁを驚かせてしまう。パラコード1束200円の他、デッドストックのM61アスパックを3000円で購入。
「あーっと、イサカさん、金貸してください」
財布を車に置き忘れたHanaちゃんをヤマトンチュー2人で笑う。その直後にトヨムラ大兄もまた置き忘れていたことに気づき、たかられたヤマトンチューにおじぃとおばぁが加わって、アハハと笑った。

 R329をさらに北に行ったところで「あ、今の店、何か怪しい」と城間衣料品店を発見。
 えーと、こちらはクリーニング店を併営されてますか?あれらは売り物でしょうか?と尋ねてしまうほど、壁の四囲高いところにクリーニング済のカバー・タグがついた制服系がずらりと並んでいる。それもフル記章だ。視線を落すとBDUやシャツ、ジーンズが畳まれて山を成している。
 制服は沖縄駐留の海兵隊および空軍が圧倒的に多く、中に陸軍のSF(グリンベレー)が混じり、よくよく探すと海軍もあるという感じである。しかも安い。
「海軍の、ちょっと前のカーキ色のブレザーはありませんか?」と尋ねてみたが、扱った記憶は無いとのこと。ブルードレスも含めて海軍物はわずかなのでそちらの方は早々に諦め、ジーンズを物色する。
 こちらはリーバイスが大半、Leeとラングラーとその他がちょっとという割合。割合的には「ちょっと」でも、絶対数は多い。
 ターゲットはラングラー。それも日本法人やエドウィン製のジャパンラングラーではなく、アメリカ本国製のUSAラングラーだ。さすがにブルーベル・ラベルの超ビンテージは無かったが、今や内地では平行輸入店かWeb通販でしか入手できない本国製ラングラーがゾロゾロ出てくる。
 色合いやサイズの点で制約がある中から、そこそこレアな1着をゲット。その場ですそ上げして貰って2,500円。リーバイスにはあまり興味がなく知識もないのでスルーしたが、その道の通なら面白いものを掘り出せるかもしれない。

 夕刻、那覇に戻り「西武オリオンホテル」にチェックイン。国際通り、というリクエストそのままに同通りの東端に立地している。夕食前に「いは軍払い下げ品店」へ。
 イハグンはWebショップを熱心に運営しており、その印象から倉庫型の無店舗ショップ風を想像していたのだが、実際に行ってみるともっとスマートな店舗であった。
 程度極上の初期型クレイモアバッグ、U.S.Naval Hospitalのスコードロンキャップをそれぞれ1,000円で購入。キャップのモチーフはアンカーで、よく見るとロープが沖縄本島に絡んでいる。そういえば海軍病院が沖縄にあるのだった。米海兵隊は固有の医療兵科を持っておらず、衛生兵は海軍からの分遣隊という形で配属される。その延長で行けば、マリンコベースの需要の為に海軍病院があるのは当然の事だ。沖縄に大きな海軍基地はない、との先入観からあまり身を入れてNavy物を探さなかったが、こうして中古スコードロンキャップの中から当たりを掴んだ以上は認識を改めねばなるまい。

 夕食はまちぐぁーこと「牧志第一公設市場」2階の食堂にて。正規のお品書きの他に、階下で買った食材を持ち込むと調理師が好みに応じて調理してくれる。我々はハリセンボンの味噌汁等を注文。ハリセンボンと言うとゲテモノじみているが、分類学的にはフグの仲間なので美味であった。したぼくーずとして水族館巡礼を続けていると魚類にも詳しくなるのである。
 今気づいたが、フグでは禁忌とされる白子を特に指定してみるのが良かったかもしれない。いや、ハリセンボンでも同様に禁忌なのだろうか。したぼくーずは魚類に詳しいが、食材としての探求ばかり進めるとお魚大好きなちゃん様が泣くのでその方面には疎いのである。
 早起きの上に聖地巡礼とお宝発掘で疲れていたのか、いつもより酔いが早く、ふらふらとホテルへ戻った。海兵のいかすスタンドカラー礼服一式を買ったHanaちゃんが丁寧に畳んでおこうとしていたので、「明日もここに泊まるし、ハンガーに掛けたら?」と提案。なるほど、とクローゼットでごそごそとしてるロサ・フェティダ・ガーズ(違ったかも知れない)を尻目に、毛布を被って寝る。そのうち電灯が「茶色く」なって、彼も寝たようであった。

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サン・テックス

サンテグジュペリ搭乗機の残がい発見、墜落地点を特定(読売新聞)

マルセイユ沖で発見されたF5B(P-38偵察型)の残骸がサン・テグジュペリの最期の搭乗機であると確認された。
「高速でほぼ垂直に墜落したとみられるが、プロペラに損傷もなく、敵の攻撃を受けたことを示す弾痕も残っていないため、墜落原因は特定できない」というのが不可解で、墜落の状況と原因が今一つはっきりしない。酸素マスクの不調でワヤになったのか、ルフトバッフェに発見されてダイブで逃げようとしたのか。
サン・テックスは一時期『飛行不適格』扱いされていたことから彼の操縦の腕を疑う向きもあるようだが、ルーキーの頃のハンス・マルセイユもやたら飛行機を壊すというので『飛行不適格』として地上に留め置かれていたし、ハンス・ルーデルもいつまでも前線に出たがって困るというので一時期『飛行不適格』扱いされていたように記憶している。
そもそも操縦がドヘタクソだったら1940年の有名なアラス上空強行偵察で撃墜されていただろうし、ましてF5Bに乗るなんてご冗談でしょう?というものではなかろうか。

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Aprilな

Joke Indexから復帰。
身内のサイトを巡回してみたが、エイプリルフール企画をやったのは私だけだったらしい。

暇人ですいません。

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Aprilな

4月1日限定ページを作ってみた。
昨年は「反ブッシュ、反イラク戦争のハッカー」に改竄された風のページにしたところ、本物のクラッカーに攻撃されたと早合点した知人にご注進されてしまい苦笑したが、今年はどうだろうか。

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